2009年9月24日木曜日

何必館で「北大路魯山人展」

今、京都にいるパッチョ。

京都に着いて駅ビルでランチ。おばんさいの食べ放題がついてるセットです。
(といってもおかわりするほど食べられませんでしたが、、)
選んだおばんざいは、
・炒り豆腐
・三つ葉しめじ(煮浸し)
・出し巻き卵
・おからの炊いたの
・瓜の酢の物
・しば漬け

駅ビルのレストランですが、関西らしく味付けは薄め。
これだけ食べると結構おなかいっぱいだよ?
でも、こんなふうにお惣菜を選べるランチスポットが会社の近くにあったらいいな。



Book Shelfでも書いたけど、「イサムノグチ」を読んで北大路魯山人がどんな人だったのか気になってきた。。。
昔よく読んでいた芸術新潮や骨董関連の本や料理の本で北大路魯山人の名前はよく目にしていたし、作品の写真も目にしていたことがあったけど、「イサムノグチ」にご本人の性格がよく描写されていた。
これは知りたい!と思っていたところ、京都の何必館で「没後50年 何必館 生活の中の美 北大路魯山人展」をやっているのを知った。
生で作品が見られるんだーと思い、ホテルについて荷物を置いてから出かけてみる。

この椿の器。想像よりもかなり大きくてびっくりした。

閉館まであまり時間がなかったのと平日だったためか、人はまばら。
何必館の最上階の中庭庭園みたいなところにもちょっと興味があり、前から行ってみたかったのでこの空き具合はちょうどいい。


魯山人の作品も写真でみたことあるものが沢山あった。
イサムノグチの本を見ると、けっこう量産していた作品もあったみたいだけど、展示されているものはそういうものではないな、というのが一目でわかる作品ばかり。
食器を見ると、どうしても「これにふろふき大根を盛ったらおいしそう」とか「ちょっとした珍味をのせるのにいいな」とか、料理を盛りつけたところを想像して自分の好き嫌いを判断しちゃう。(使える、使えない、の判断、、、ですかね)
でも魯山人は使われることを望んでいたのだと思うし、使う側が豊かな想像力を働かせてくれることを望んでいたんだろうと思う。
「器は料理の着物。」素敵な言葉。。。素直に頷ける。

魯山人は食客の時代に色々なことを吸収した。
食客」なんて立場は現代には、、、ほぼないだろう。昔のパトロンと今のパトロンのサポート方法の違いを比較するのもちょっと面白いかも。
作品を目に焼き付けつつ、魯山人の半生を描いた読み物を読んでみたいと思う。

何必館を出て、祇園を歩いてみる。






鴨川のほとりを歩く。
町の中に川が流れていて、ほっとする。






帰りはこんなふうに写真を撮りながら烏丸御池にあるホテルまでテコテコ歩いていく。

新京極!!通ったよ!中学の修学旅行で来た記憶が、、、、
人でいっぱい!迷子になりそうなぐらい人出があったように記憶しているけど、今日通ったらあんまり人がいない。。。中途半端な時間だったからかな。。。

寺町通りから脇道を入って町屋が立ち並ぶ住宅地を歩く。
京都っていいなーと思ったのは、こういう繁華街から外れたところにポツリポツリと色々なお店があるところ。お豆腐屋さんや骨董屋さん、イタリアンにフレンチ、和食のお店。。
どれも魅力的な店構えです。
そこをママチャリに乗った会社帰りの人々が走り抜けて行く。
なんか地域密着感がすごい。ちょっと羨ましい。
京都で暮らすのっていいだろうなぁーと漠然と思いながらテコテコ。

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