2009年10月3日土曜日

文字の美

昨日、M・ムーが呑んでいる席で京都の印房の職人さんを訪れた時に感じた話をしてくれた。とってもええ話だった。

ちょうど今、篆刻家、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家、美食家など多彩な顔を持つ北大路魯山人が書いた食に関する文章を集成した「魯山人味道」という本を読んでいた。
私の興味としては、魯山人が食材や料理をいかに大切に思い日々暮らしてきたかというところと、魯山人の人となりを知ってみたいと思ったところから読み始めたのです。
貧乏な境遇の中でも生来の天才的な味覚とセンスに気づき、それを磨き、五感が感じられる最高のレベルを具現化しようとして生きた人なのだと思った。
魯山人も書家、篆刻家としてスタートし、晩年もひとりで取り組める書の仕事に戻っていった。
沢山の書や篆刻の作品を残している。

ちょっとシンクロした。


私はデザイナーの下支えをする仕事なので、デザインとして目に入る部分については自分で何かを生み出すことはしていない。
でも普通に生きていく中でも、何かするときに、その成り立ちを知り、それを自分なりに工夫し表現すること、表現しつづけることが、自らを高めるということになるんだろう。
M・ムーが京都の職人さんから感じ取ったことは、そういうことなんだろうと思った。
ムーは職業柄、アテクシなんかよりもっと強く感じたんだろう。

昔のものだから古くさいとか、そんなことをいうやつは全然わかっちゃいない。
むしろ昔の方が、物質的な豊かさがないこと、自ずと厳しい環境に身を置き修行を重ねるといことが当たり前であったため、自分の技術や能力を研鑽することが、この日本の礎になっていることは間違いないだろう。
だから、自国の文化や歴史を学ぶことは大切なことなんだろうと、特に最近思うようになってきたアテクシ。

文字ひとつとってみても、どうです?みなさん。
アテクシはパソコンを使うようになってはや15年。
手で書く文字が汚くなってきました。^_^;;
そして、読めるけど書けない、という文字が多くなってきました。^_^;;
子供の頃は書道も好きで、漢字も読み書き出来る方だったんですけど、、、、
ちゃんとどういう成り立ちでこういう形になっているかとか、どういう時に使うのか、、、キーボードの「変換」を押すだけでちゃんと理解しようと試みることはめったにない。

たいていの場合はパソコンの中にインストールされているフォントを使って(微調整することもあるが)何かを作っている。
フォントを使って美しくレイアウトする、という技術もセンスが必要だけど、やはり手書きの文字はその人を表すから、やっぱり手紙や封筒の表書きなんかは手書きで書きたいよなぁ。。。

最近、本屋さんに行ったときNHKの「美の壷」という番組の本を手にとったんですけど、その題字がちょっと奇麗で、家に帰ったときにどんな人が書いているのか調べてみました。
女性の書家「紫舟」さんという方が書いているそうです。

サイトを拝見し、書家という職業を少しだけ知ることができました。
特に「FALKEN」のポスターのお仕事。ちょっといいですね!!
その他の作品も、本当に自らの手によって「産み出す」という工程を踏んで、産声をあげていることがよくわかります。

極めようとしてる人は美しい。





書という古来の文化をCGという新しい技術により現代の感覚と融合。

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